水木ふしぎ発見!

屋上までの吹き抜け(はまぎくホール)

児童用昇降口の広いスペースを「はまぎくホール」と呼びます。行事予定や縦割り活動(のびのびタイム)の掲示をしています。市や県の展覧会に出展した児童の作品なども展示します。はまぎくホールの上は、2階、3階、屋上まで続く吹き抜け。真上を見上げたとき、青空が見えるとても素敵な空間です。

大きな絵画(中央階段)

中央階段の踊り場に展示してある絵画です。日立市出身の黒沢三郎画伯の作品名「あそび」です。平成元年(1989年)に地元の方から寄贈された、貴重で大変立派なものです。

児童数の変化

昭和22年からの児童数の変化をご覧ください。過去70年間の最大児童数は、1,206名です。令和2年、水木小は創立132年目、児童数は376名です。

水木小児童数推移 昭和22年~.pdf

ハマギク(本校敷地内外)

水木学区のシンボル「ハマギク」です。ハマギクは耐寒性多年草で、日立市付近が自生の南限といわれています。本校では、地域や幼稚園・中学校と連携しながら、「ハマギクの里づくり」の輪を広げています。秋には、白い花を咲かせます。

 イトヨ

水木学区の2つめのシンボル「イトヨ」です。近くの泉が森に生息していました。「イトヨの里泉が森公園」は、「平成の名水百選」にも選ばれています。以前は、観察コーナーが設置され、水木学区コミュニティ推進会より寄贈されたイトヨが水槽の中で元気に泳ぎまわっていました。(現在は生息していません)

旧正門(校舎南東側)

1915年(大正4年)に作られた正門です。花崗岩でできた立派な門です。門の校舎側には、「御即位記念 大正四年十一月十日」とあり、大正天皇の御大典記念に卒業生や地域の有志の方々の寄付によりこの石門と井戸が作られたそうです。井戸は現在はありません。

 クロマツ(校舎南側)

校舎南側にあるクロマツの木です。地域の方から寄贈された立派なものです。もともとは門柱の脇にそれぞれ1本ずつあったそうです。クロマツは、枯れずに残った1本です。このクロマツの他にも、地域の方や卒業生から寄贈された樹木が何本もあります。

 根本省吾先生永年勤続記念碑

1889年(明治22年)に、本校は坂上尋常小学校として創立しましたが、その創設時の3名の教員の内の一人が、根本省吾先生です。創設期から30年近く本校に勤務され1913年(大正2年)に退職なされました。先生の業績とお人柄をたたえ1916年(大正5年)に旧坂上村が建立した記念碑です。

 二宮金次郎像

1938年(昭和13年)に、地域の方から寄贈された二宮金次郎の石像です。歴史の古い学校にはこの石像は多く見られますが、日立市内で現存している学校はあまりありません。当時の地域の方々の学校教育に寄せる思いが伝わってきます。

 めばえ像

1968年(昭和43年)に、地域の方から寄贈された「めばえ」と題された像です。像の作者は、岩沢勇氏です。上記の二宮金次郎像もそうですが、長年にわたり地域の方々や卒業生の方々から寄贈された碑などが本当にたくさんあります。他にどんなものがあるか見つけてみましょう。

 卒業記念壁画(旧玄関脇正面)

1985年度(昭和60年度)の卒業記念制作です。「天までとどけ、一、二、三。」でおなじみの1年生の国語教材「くじらぐも」を題材にしたタイルモザイクの壁画です。このほかにも、卒業記念の作品がたくさんあります。見つけてみましょう。ちなみに、右側の柱の学校名の表示の石盤も地域の方々からの寄贈です。

 創立120周年タイムカプセル(校門入って左側 D棟前)

2008年(平成20年)、創立120年記念式典が挙行され、タイムカプセルを児童像の石碑の下に埋めました。150周年に当たる30年後にあけてみることになっています。

 PTA室(D棟1階)

本校は、ここ数年児童数が380名前後で推移していますが、ピーク時の1981年(昭和56年)には、3倍を超える1206名が在籍していました。この時期増設された現在のD棟にも普通教室がありました。児童数の減少に伴い、現在のように改築されました。

 旧坂上村役場跡記念碑(D棟西端フェンス沿い)

現在の日立市に編入されるまで、水木地区は、多賀町で、それ以前は多賀郡坂上(さかうえ)村でした。多賀町に編入される1941年(昭和16年)まで、学校と隣接して役場があったのが、現在のD棟のあたりです。1978年(昭和53年)に地元の有志の方により、建立されたのがこの記念碑です。

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